【歴史記録《谷戸と暮らし》より】

大平山丸山町内会にかかわる「富士塚」について

谷戸と暮らし」はNPO法人山崎・谷戸の会が、2000年に地元・山崎の方からお話をうかがい、山崎地区の昔ながらの暮らしぶり(農作業、家畜と生きもの、年中行事と儀礼、遊びなど)をまとめた本。現在の中央公園となってからの公園の情報(地図、田畑の説明)なども掲載されています。ご興味のある方は、町内の斎藤(9D・48-4677)、または、会事務所(47-1164)までご連絡ください。(1,000円で頒布)

当町内の北側(12A)、モノレールを見下ろす位置に小高い山があります。ここは古来、「富士塚」と呼ばれてきた場所です。その説明文と写真が、山崎・谷戸の会編『谷戸と暮らし』にありますのでご紹介します。桜の季節に訪れてみてはいかがでしょうか。

 

富士塚はこんもりした山で、標高は天神山とほぼ同じで56mある。鎌倉、江の島、上町屋、山崎の分岐点になる地点で、源頼朝はここで富士の巻狩りを思いついたといわれる。また、鎌倉の武士は怪我をするとここを通って、山崎に湧き出ている「隠し湯」へ通ったといわれている。 

玉縄城へ狼煙(のろし)を上げたのもここからといわれている。故内海伝右衛門は、今の代の方の祖父の祖父に当たり、富士山詣でを盛んに行った人として『鎌倉こども風土記』にも記されている。

石碑を頂上に建て、その他に石碑が7つあったが、今はそのうちの4つしかなく、手入れされていない山の中に潜ってしまったのか、盗られたのかわからない。富士塚は以前は共有地で、花見の時は賑わった。大山詣で(おおやま)の碑も富士塚にある。この土地は、平成12年(2000年)、鎌倉市に移管された。

~9D斎藤さんより資料を頂きました~