1. 縄文時代 中期(約5,000年前)住居址発掘
「縄文時代の竪穴住居址」寺分富士塚遺跡
縄文時代の遺跡は柏尾川流域を望む台地上に多く分布し、主に中期から後期にかけての集落跡が発見されました。なかでも寺分富士塚遺跡は中心的な集落遺跡でしたが、昭和40年代の宅地開発によって調査されることもなく消滅してしまったのです。昭和63年辛うじて残った一角の調査で埋甕炉を持つ縄文中期の住居跡を3軒発見し、大集落の姿をかいまみることができました。
(鎌倉の埋蔵文化財1、平成8年刊より 鎌倉市教育委員会所蔵)
縄文時代の中期とは、今から5,000年ほど昔のこと、温暖化により「縄文の海進」と呼ぶ海面上昇が3,000年かけて40m以上にも達したあとの時代です。寺分富士塚も海に近い生活であったかも知れません。
暮しやすい環境は、1万3~4千年間つづいた縄文時代の中で最も多くの住居址が発見され、国宝の「縄文のビーナス」※(長野県棚畑遺跡出土)が作られた時代でした。
※「縄文のビーナス」
縄文造形の一つの頂点。全く無駄のないデザイン。半歩踏み出した表現も見事。
(平成24年度かながわの遺跡展・巡回展 勝坂縄文展より)
※「鎌倉歴史文化交流館」に展示
写真右側の埋甕炉の土器が、縄文時代の遺物として展示されています。勝坂式の見事な土器です。
(文責 天野)
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