眞田尚裕さん
2018.10 インタビュー
スポーツジムでテレビを見ていたら、アメリカで初の将棋の国際大会が開かれたというニュースが目に入りました。
眞田さんの活動が、こんな風に世界に広がっているのだと思いました。
左から2番目が眞田尚裕さん(銀製の記念扇子をお持ちです)
中央は日本将棋連盟会長 佐藤康光九段
『大山康晴賞受賞!』
将棋にうとい私でも、大山康晴15世名人の名前は知っています。町内で「大山康晴賞」を受賞された方がいると聞き、早速パソコンでニュースを調べました。出るは出るは、Wikipediaの記事を先頭に、将棋連盟の広報、新聞各社の記事が次々にヒットしました。
「第25回大山康晴賞」個人分野受賞の栄誉に浴された方は、1Bにお住いの眞田尚裕さん(御年85歳)です。この賞は、大山康晴名人の遺志により、将棋の普及発展に尽くした個人・団体に贈られる将棋界最高の賞です。眞田さんは、NPO法人「将棋を世界に広める会」を23年前、平成7年に立ち上げ、理事長として世界各国に将棋を普及させる活動を続けてこられました。
眞田尚裕さん(花束贈呈)
個人分野で受賞された方は、眞田さんと上海の許建東氏のお二人です。今回初めて、将棋の海外普及に尽くした人に賞が贈られたそうです。将棋が、日本を飛び越えて世界に広がりつつある今、法人を立ち上げた頃の情熱、苦あり楽あり、万感の想いがこみ上げるものと推察します。
授賞式は、2018年9月7日(金)東京・千駄ヶ谷の将棋会館で執り行われました。あの藤井聡太旋風が吹き荒れた頃、よくマスコミの取材に応じていた会館です。忙しさが一段落した10月の初旬に、ご自宅でお話を伺いました。
◆受賞のご感想、これまでのご苦労などお聞かせください。
授賞式の直前だったので大変驚いたというのが正直なところです。平成7年に「将棋を世界に広める会」を立ち上げた時は、会員は私ひとりでした。当時、将棋連盟もあちこちに海外支部を持っていたが、海外にいる日系人社会への普及が中心で、現地の人に将棋を広める視点はまだなかった。あるとき、将棋ペンクラブの湯川博士さんが訪ねて来られました。将棋の海外普及について3時間ほど話し込み、帰る時に湯川さんは会員2号になられた。活動が軌道に乗ったのはそこからだと思う。ヨーロッパへの将棋の普及には、将棋オンラインゲーム81Dojo(無料のインターネット将棋サイト英語版あり)の開設が大きく影響している。現在では、外国人で初めてプロになった女流棋士、ポーランド出身のカロリーナ・ステチェンスカさんも海外普及に貢献している。
◆ 将棋との出会いはいつ頃、何で興味を持ったのですか
小学校2年生の時、2歳上の兄と一緒に父から将棋を教えてもらいました。兄とは何百もの対局を繰り返し、次第に将棋の魅力に取りつかれた。兄は自分が一番でないと収まらない性分で、私が勝ち続けるととうとう将棋をやめてしまった。将棋は奥が深い。取った駒が使える、成れるというルールは将棋にしかないルールだ。私の子どもは、小さい頃にこてんぱんに負かしたので、他の趣味に走ってしまった。
◆この町内にはいつ頃からお住まいですか
昭和46年に東京から越してきました。富士山の景色が気に入っています。
ご自宅の前は、富士山が裾野までしっかり見える絶景スポットです。ダイヤモンド富士の時期にはカメラを持った人が待ち構えているそうです。
眞田さんは、松代藩眞田家のご子孫です。NHKの大河ドラマ「真田丸」で「黙れ、小童!」で一時話題になった大泉洋さんが演じる、幸村の実兄、眞田信之の直系の子孫にあたり、天皇陛下のご学友でもあります。
インタビューなど、最初はどうしようかと思っておりましたが、お話しているうちにインタビューなどそっちのけで楽しいひとときでした。
眞田家のお話が得意とのことです。いつか「眞田家三代」のお話をじっくり聞かせていただきたいと思いつつ、ご自宅を後にしました。
眞田尚裕さん
銀製の記念扇子を贈られる
将棋を世界に広める会の会報「かけはし」
大平山丸山町内会
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