加藤忠男さん

2014.11 インタビュー


その人は山男(やまおとこ)です。超人的ともいわれています

 しかしこの山男、いま町内ハイキング会をまとめられるリーダーさんなのですが、そのモットーは ―ゆっくり、余裕をもって、無理せず、楽しんで、健康づくりと共に町内の方々との交流を― といった柔らかさです。4Dにお住まいの加藤忠男さんです。奥さまの民子さまもご一緒していただき、ご自宅にてお話をうかがいました。
 リーダー初代の池田米一さん(9B)から引き継がれた平成18年以来のおつとめです。いま84歳。お耳がすこし難儀ですが、それはそれ、この年齢には栄誉の勲章だ。奥さまのさりげなく、しかし、行き届いた補佐をもえてわがリーダーはご活躍です。

 加藤さんは生まれも育ちも東京です。W大・理工からH化学工業社に。その後、日本を代表する大手化学企業のT社に転じられ技術者として活躍されるかたわら山歩き、登山に熱中された。H社に入社されてきた後輩の女性と職場結婚。それがただいまの奥さまです。以来ウン十年、円満なお二人です。

 奥さまは鹿児島です。戦時中に移住された宮城県・仙台で国立T大の理科に。ついで東京のT理科大に転学。だからリケジョであったわけで、それがH社就職に向かわせ、ご自身の山好きもが重なって山男・加藤さんとのご縁に結びついたのでしょう。数学に造詣深く当町内会にも彼女から算数・数学の教えをうけた子弟が多くいらっしゃいます。

 理系、山好き、を共有されていたお二人の新婚旅行は奥穂高登山でしたって! いいお話ですね。 加藤さんはH社、T社での勤務のあいだを縫って深田久弥の「日本百名山」の半分をこなされた。そして定年退職。「それからは、没頭とまではいわないまでもあらためて山にはずいぶん打ち込みましたよ」とおっしゃいます。

 その証(あかし)が登山家・岩崎元郎(いわさきもとお)氏主催の"無名山塾"への入会です。中高年登山ブームの安易さ、危なっかしさ、に警鐘をならすその塾で、やり残していた「日本百名山」を完全踏破。さらに日本山岳会選定になる「日本三百名山」に挑戦されました。「95%はやりとげたけど、あとはちょっと厳しいな。84歳には、もうこれで打ち止めかなぁ」照れたように笑われます。「そうですよ、もう無理ですよぅ」とすぐに奥さま。「なんだよなぁ」とまた加藤さん。晩秋の陽光満ちる暖かいお部屋にさらに暖かい笑いが満ちました。でも、そうはいいながらも加藤さんは、いまでもときに2千メートル級をこなす山男なのです。

ハイキングにあたり加藤さんは、できるだけ現地を予見される慎重さです。

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そして記録を毎回ご自身でワープロされ記念写真と共にファイル保存される緻密さです。当町内会はいいリーダーさんを持っているものだ、とあらためて思いました。するとそのとき町内会「鎌倉旅クラブ」会長・山元淑弘さま(9C)の言葉が胸にストンと落ちました。「加藤さんはね、町内の財産、タカラモノなのですよ」
 お話おえて辞去する玄関の片隅には、使い慣れた登山靴が大小複数さりげなく、きれいに、そして静かに、並んでおりました。

(山田壽雄記)