7. 鎌倉時代から南北朝時代へ
山崎宝積寺と旧本尊
「室町時代に廃寺になった山崎宝積寺は、宝積寺谷という谷戸にあった。
現在はモノレールの直下にあり、道路で分断されているが、山に囲まれた地形が確認できる。
山崎宝積寺の伽藍の境界を示す岩壁にはやぐらが築かれ、岩壁にそって水路が巡り、五輪塔など中世の遺物も確認できる。
宝積寺跡から近い円覚寺如意庵の末寺である昌清院には、山崎宝積寺の本尊が移座している。
山崎宝積寺は夢窓疎石が京都山崎の宝積寺(宝寺)になぞらえて創建したとの伝えがある。京都宝積寺は、聖武天皇の発願により行基によって建てられた寺院で十一面観音を本尊とする。山崎宝積寺の本尊が十一面観音であるのはそのためだろう。」(写真右、十一面観音菩薩立像)
(神奈川県立金沢文庫、津久井光明寺特別展ー知られざる夢窓疎石ゆかりの禅院2つの宝積寺を訪ねてー2015.2.19~4.19開催 旧本尊 初公開の展示解説より)
夢窓疎石(建寺元年1275-正平6年1351)は伊勢の人。のちに国師号を七代の天皇から賜り「七朝帝師」といわれました。初め天台を学びましたが20才のとき禅宗に帰して、鎌倉に下り円覚寺の開山仏光国師の高弟高峰顕日の法を嗣ぎました。
正中2年(1325)後醍醐天皇によって南禅寺の住持として招かれ、元徳元年(1329)には北条高時の懇請によって円覚寺十五世として入山しました。その間、鎌倉浄智寺に住して瑞泉寺も開きました。更に元徳2年(1330)には甲斐に恵林寺を開創しています。宝積寺の創建もその頃ではなかったでしょうか。
北条氏滅亡後も足利尊氏、直義兄弟の帰依を受け、歴応2年(1339)後醍醐天皇菩提のための寺、天龍寺を開き、同じ年行基開山の西芳寺(苔寺)を中興いたしました。
(文責天野 参考 熊倉功夫編 「夢窓疎石」2012刊)
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