6. 鎌倉時代中期 蒙古襲来前後 

大慶寺

 

 「臨済宗 円覚寺派で、霊照(松)山 大慶寺という。開山は宋の名僧 大休正念である。

 (写真右 大休正念座像 ー北条時宗とその時代展 目録よりー)

 大慶寺が栄えた頃には、本堂、薬師堂、地蔵堂、鐘つき堂、山門のほか塔頭に指月軒、覚華堂、天台庵、大覚庵、方外庵の五棟があり、関東十刹の中に入っていた。 

 

 寺領として東西二十町余、南北六町余が与えられた記録が「新編相模風土記」(天保12年 1841年)にあり、さらに「当村古は大慶廃寺の域内たりしを以て大慶寺分と言しを、上略して今の地名となりしならん」と寺分という地名の由来が書かれている。 

 

 この寺に残っているものは少ないが、誇るべきは高僧、名僧が多くいたことである。開山の大休正念は文永6年(1269)宋より来朝後 建長寺、寿福寺を経て、円覚寺の第二世となった人である。方外庵を創建した法源禅師は、大休正念の弟子で大慶寺の住持後寿福寺の住持となった。

無象静照は鎌倉の人で、14年間宋で修業し、弘安2年(1279)ごろ大慶寺の住持となった後、浄智寺に招かれた。大川道通も大休正念の弟子で、のち円覚寺の十七世となった。円覚寺三十八世の傑翁是英も大慶寺で得度した。」

(庚申塔の里、-深沢の散歩道ー尾関勇著、平成元年刊 非売品) 

 

 尾関勇氏は当町内会会員だった方。あとがきによれば、昭和64年1月1日で喜寿の誕生日であり5月に金婚式を迎えるのを記念して自費出版されました。当時のご住所に現在は住んでおられませんが、深沢の散歩を愛されたご様子が伝わります。

 

 

 

(文責 天野)