4. 平安時代 後期(延長年間923-931-永久4年1116)
柏尾川氾濫原の開発と御霊神社
「仮説であるが、鎌倉権五郎景正を鎌倉党の祖とすることは、後三年の合戦(1085-1087)での武勇を持って語られるが、村岡地区で成功した開発技術の伝授によると考えられないかということである。すなわち景正は何らかの技術・方法を持って村岡地域で低湿地(深田)の開発に成功した。鎌倉を中心とした地域の武士達にその技術が伝播したので、景正を御霊神として祀り、又共通の祖と仰いだのではないか。」
(「大場御厨の景観」 藤沢市教育委員会1997刊)
昭和16年、藤沢市に合併するまでの村岡地区は、鎌倉郡に属し、昔は、柏尾川の氾濫原を深沢地区と共に取囲む隣村でした。平良文(村岡五郎)が延長年間(923-931)鎮守府将軍として村岡に荘園を開き、宮前に崇道天皇(早良親王)を御祭神とする御霊神社を勧請、戦勝祈願の社とされました。(天慶3年940)
鎌倉権五郎景正は、永久4年(1116)大場御厨を伊勢神宮に寄進するまでになりました。景正は御霊神社の祭神に祀られ、かっての氾濫原をかこむ梶原、川名の地に鎮座し、その後13社を数えるまでに拡がりました。
(文責天野 参考「藤沢史蹟めぐり」藤沢文庫刊行会 「宮前御霊神社由緒書」)
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